上祐史浩氏のブログ「菊地直子さんの批判に対して」について

2018.04.25 Wednesday 13:12
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    私の前回のブログ「上祐史浩さんのSPA!インタビュー記事について」に対して、上祐氏がブログに記事を載せました。

     

    以下、上祐氏のブログの引用です。

     

     

     

    菊地直子さんが、「2012年の6月19日号のSPA!のインタビュー記事で、上祐史浩さんは、「菊地はサリン生成に関与し、刑事責任を負った」と語っています。しかし、実際には、私はサリン生成には一切無関係です。」と述べている。

     

    そこで、私のインタービューを編集した結果の記事を確かめてみると、文字通り「菊地(さん)はサリン生成に関与し、刑事責任を負った」とは言っていないが、私の真意に反して、菊地さんのように解釈される可能性もある文書になっていたので、改めて真意を説明しておかなければならないと思う。該当する箇所の記事は以下のとおりである。

     

    「三人はもっと早く出頭または逮捕されるべきした。彼らはおそらく罪状からも死刑にはならないし、特に平田は指名手配直後に出頭していれば、今頃は刑期終えていてもおかしくない。不毛な逃亡生活を送ったうえ、社会に不安を与えたのは、本人にも社会にもよくなかった。そして、私も無関係ではありません。私はサリン事件の刑事責任はありませんが、当時の教団内の地位は菊池や高橋より高く、教祖の武装化の考えを彼らよりよく知っていた。彼らは全体をよく知らずに、サリンを作ったり、運転手をしたりして、刑事責任を負い、不遇な人生を送ることになりました。私は自分の道義的責任を自覚し、彼らのことを心に留め、彼らの分まで賠償などの罪滅ぼしをしなければならない。それが私に課せられた十字架だと思います。」

     

    こうして、「彼らは全体をよく知らずに、サリンを作ったり、運転手をしたりして、刑事責任を負い」としているが、私がインタビューで語った「彼ら」とは、教団武装化をよく知る当時の最高幹部ではなくて、「従属的な信者全体」のことであって、菊池さん個人のことを意図したものではない。具体的には、「彼ら」は、たとえば、サリン事件に関与したが、使用目的を知らずにサリンを作る手伝いをしたり、何か危険なものとは知っていたが、サリンとはよく知らずに運転手を務めたりして、普通ならば関与が薄いとして起訴を猶予されたかもしれないが、オウム事件の強烈な衝撃もあって、刑事責任を追及された。

     

    このことは、記事の中の「彼ら」には平田も含まれるところ、平田はサリンでは指名手配さえされていないことからも、ご理解いただければと思う。実際に記事になる際は、インタビューの内容が圧縮されて編集されるので、こうした誤解が起こることに今後は注意する必要があると思う。そして、記事全体の趣旨は、そうした従属的な信者の責任ではなく、むしろ私の道義的な責任を強調するものであることも理解してただければと思う。

     

     

     

     

    これを読んで、いくつか指摘したい事があります。

     

    まず、上祐氏は「菊地さんのように解釈される可能性もある文書になっていた」とおっしゃっていますが、この記事を一般人が普通に読んだ場合、「彼ら」の中に私が含まれていると解釈するのが自然です。逆に、「彼ら」の部分を、上祐氏の主張するような意味に読者が解釈する可能性は極めて低いのではないでしょうか。ですから、「菊地さんのように解釈される可能性もある文書になっていた」という表現がおかしいように思ったことがまず一点。

    次に、仮に上祐氏が「私以外」のサリン生成に関与した信者のことを話したのであっても、それは「私」がサリン生成に関与したことを前提にしているからこそ、わざわざサリン生成に関与した信者のことを持ち出しているのではないかということ。それは、記事のタイトルが「2人の逃亡犯と私の17年」となっていることからも、そのように考えるのが自然です。

    それに、「特に平田は指名手配直後に出頭していれば、今頃は刑期終えていてもおかしくない」と言っていることと、記事が指名手配から17年後のものであることを合わせると、私が17年以上の刑になると上祐氏が思っているという事が読み取れます。少なくとも平田さんより重い刑になると考えているのは明白です。さらに、記事では「サリンを製造した土谷正実氏は死刑だったから怖かったのかなとも思います」と私の逃亡の理由をインタビュアーに聞かれて答えています。

    これらのことから、記事全体を通してみた場合、上祐氏は私がサリンの生成に関与したことを前提にして話しているとしか考えられないのです。

    私は上祐氏に、私がサリン生成に関与していない事を「知らなかった事」について謝って欲しいのではありません。

    なぜなら、教団が極度に情報が遮断された空間であり、情報の共有という概念がなかった事を私自身がよく知っているからです。私がサリン生成に関与していない事を上祐氏が知らなくても全くおかしくないのです。当時の教団はそれだけ特殊な環境でした。

    そして、事件後の私についての報道については本当に酷いものがありましたので、事情を知らない者がそれを見聞きしたら、私がサリン生成に関与したと思い込んでも無理がないとも言えるでしょう。

    ただし、それは情報の受け手について当てはまる事であって、情報の発信側については事情が違ってきます。

    発信をするのであれば、それなりの確認を取って欲しかったのです。

    なにしろ、私が教団に在籍していた時代から、オウム真理教の正大師であって大幹部と言われていた人の発言です。

    このインタビュー記事を読んだ読者はどのように感じるでしょうか。

    世間の一般人は、上祐氏ほどの幹部が全体を把握していないなどという事はまずありえないと考えます。そして、「上祐氏がこう話しているのだから菊地直子がサリン生成に関与したのは間違いないのだろう」と思うでしょう。

    それだけではありません。さらに彼は、私と接点がほとんどなかったにもかかわらず、私の性格について色々と語っています。彼が私の性格など知るはずが無いのにです。

    これを読んだ読者はこう思うでしょう。

    上祐氏は菊地直子の事をこのように直接知っているのだから、菊地直子が何をしたのかも知っているのだろうと。

    この被害は甚大です。

    前述したように、私は上祐氏が「知らなかった事」については仕方がないと思っています。

    事件の後、拘置所にいる人とは一切関与しないという方針を取った事も知っています。

    ですから、サリン生成に関与した人達、土谷さん、遠藤さん、中川さんらに「菊地直子は本当にサリン生成に関与したのか?」と確認を取れなかったのかもしれません。

    もしそうだったのであるならば、なぜ知らない事は知らないとはっきり言ってくれなかったのでしょうか。

    菊地直子は17年前に出頭要請に応じなかったので、除名処分をして教団とは関係のない人間となった。そのため、彼女がどのように事件に関与したのか調査はしていないので、彼女が具体的にどのように事件に関与したのかわからない。だから、取材には応じられないとなぜ言って下さらなかったのでしょうか。

    普通、組織の中で不祥事が起きた時のトップの対応は「ただ今事実関係を調査中です」などとなる事が多いです。

    それなのに事実関係について内部調査を一切行わなかったのは、私は教団から切り捨てた者だから、私についての事実関係は調査をせずに、適当な憶測で話してもよいと判断されたのでしょうか?

    上祐氏自身、「記事全体の趣旨は、むしろ私の道義的な責任を強調するものであることも理解してただければと思う」と述べているように、自分が述べたい事、「逃走していた者達の支援はしていなかった、だから刑事的な責任は我々には一切なく、あるのは道義的責任だけだ。その責任は果たしている。」という事が記事に反映されていればそれでよく、私がどのように事件に関わったのかの記載についてはどうでもよかったのでしょうか?

    さらに残念なのは、その後、私がこの記事の事を知り、事実関係が間違っていると手紙を書いた時点においても、返信がなく、誠意ある対応をして頂けなかった事です。

    その上、今回私がブログで「残念だ」と書いた後にも、私が指摘した事の核心には触れずに、自分には責任はないという趣旨の内容の記事を彼のブログにアップしました。

    私はサリンの生成には関与していません。そのため、地下鉄サリン事件で17年間指名手配はされていましたが、起訴はされていません。しかし、世間の多くの人達は、私がサリンの生成に関与したのに不当に起訴を免れたと大きな誤解をしているのです。そのダメージのためもあって、私は現在、普通の生活をする事も困難な状況に陥っています。

    そのため、過去の報道の間違った記事について民事訴訟を起こす事を検討していたのです。私がブログで書いたSPA!の上祐氏のインタビュー記事もその検討の対象でした。

    上祐氏に今回のような開き直った態度を取られると思っていなかったので、私は後悔をしています。つい先日、私がこの記事を知ってから3年という時効が成立したのです。この記事についても、マスメディアと上祐氏を相手に民事訴訟をきちんと起こすべきでした。

     

     

    上祐氏はこうも語っています。

    「また、私自身は、菊地さんが無罪となったことに反発する世論が多い中で、無罪判決を肯定する江川紹子さんなどの識者の声をネットで紹介した。そのために、無罪に納得がいかない人に批判されもした。また、彼女がブログを始めた時に紹介もしたし、つい先日も、どうしても彼女の無罪が納得がいかないと憤るメディア関係の人に対して、彼女に対する理解が得られるように自分なりに努力した。

    なぜ今、こんなことを書くかというと、理由は次の通りだ。

    …(中略)…

    オウムは、教祖が先頭に立って、真理を実践する善の魂(教祖と信者)が、世の中を支配する悪の魂に不当に弾圧され、警察・マスコミは悪魔の手先であり、教団が出馬した選挙も投票操作で敗北させられ、米軍による毒ガス攻撃を受けているなどと主張した。

     

    そうした思想に染まっていた当時の教団・信者は、一般の人よりもはるかに、国家権力・警察・マスコミに対して懐疑的だったと思う。そして、更に不幸なことは、多くの女性信者の中で、菊池さんこそが、マスコミに「走る爆弾娘」などと形容されて、もっとも実態と離れたイメージで報道されてしまった。」

     

     

    確かに、上祐氏は私のブログを紹介もしてくれました。さらに私の無罪判決についてマスメディアにおっしゃるような反論をして下さったとするなら、とても有り難い事だと思います。しかし、それは都庁爆弾事件についての無罪判決の話です。このインタビュー記事で私が問題としているサリン生成の事実とはまた別の話です。

    前述したように、私が指摘しているインタビュー記事は、全体を読んだ場合、明らかに私がサリン生成に関与したということを前提に書かれています。

    しかし、上祐氏のブログには、その点についての説明がありません。 

     

    また、私は、都庁爆弾事件で使われることとなった爆薬の原材料を運んでいたとき、新幹線の待合室のテレビで上祐氏と村井氏がマスメディアに出演している映像を見ました。それは、「教団はサリンの生成などしていない」「作っているのは農薬だ」と主張するものでした。

    私は、その主張を当時全面的に信じていたのです。

    もし、仮にその時点で私が教団が地下鉄サリン事件に関与していたのかもしれないとの疑いを持てていたのなら、中川さんから

    「薬品を運べるかどうか」を聞かれた時に、

    「無理そうだ」とやんわり断って、新たな事件の発生を防げた可能性だってあったのです。

    それなのに、なぜ「道義的責任を負っている者」と「刑事的責任を負っている者」とをわざわざ言葉を分けて両者の違いを強調されているのでしょうか?問題のインタビュー記事では、全体を読んだ場合の印象として、私が後者に分類されているのは明白です。

    私はこのインタビュー記事からどうしても、自分は上祐氏の教団「ひかりの輪」の存続の為の宣伝の駒にされたという印象を受けてしまうのです。

     

    また、上祐氏はブログで私の逃走理由を「陰謀説を背景とした、過剰な被害妄想的な意識があったと思うのである」などと勝手な推測に基づいて記述しています。

    彼はSPA!のインタビュー記事でも、私について推測で喋っています。私が高橋克也さんに性的強要をされたのはこれこれの彼女の性格の故だろうなどと話しているのです。

    高橋克也さんから性的な強要を受けた事などありませんし、彼が私の性格など知るはずがないのは前述した通りです。

    彼はブログで「自分たちの責任・反省をせずに、国家の批判ばかりすれば、自分たちの利益にならない。」と書いていますが、元信者について間違った事を週刊誌で話した事については責任を取ったり、反省をして下さらないのでしょうか?

    私は、上祐氏にはせめて記事に謝りがあった事を認めて訂正をして欲しいと思っていますし、今後私の事について推測で語る事は一切やめて頂きたいと思っています。

     

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    上祐史浩さんのSPA!インタビュー記事について

    2018.04.13 Friday 00:17
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    2012年の6月19日号のSPA!のインタビュー記事で、上祐史浩さんは、

     

    「菊地はサリン生成に関与し、刑事責任を負った」

     

    と語っています。

     

    しかし、実際には、私はサリン生成には一切無関係です。

     

    この件について、「間違っているので撤回して欲しい」と東京拘置所内から上祐さん宛に手紙を書いたのですが、返事は頂けませんでした。

     

    「オウム真理教の不思議な習慣」でも書きましたが、オウムは極端に情報が分断された世界でした。

     

    ですから、上祐さんほどの上部の人であっても、直接の関係がない他部署内の事情はわからないのが普通だったのです。

     

    なのに、上祐さんはなぜ私が何をしたのか知っているかのように話すのでしょうか?

     

    サリン生成に実際に関与した遠藤さん、土谷さん、中川さんのいずれかに「菊地直子はサリン生成に関与したのか」とたった一言聞いてくれるだけでよかったのに、なぜそんな簡単な確認もせずに、捜査機関の情報(マスメディアの情報イコール捜査機関の情報です)を鵜呑みにして、間違った情報を語るのでしょうか?

     

    また、彼は私の性格についても触れていましたが、私は上祐さんとほとんど話した事はありません。

     

    人から聞いたのであればそう書いてくれればいいのですが、あたかも記事には直接知っているかのように書かれていました。

     

    昔は尊敬していた人だけに本当に残念です。

     

     

     

     

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    このブログについて

    2018.04.12 Thursday 23:14
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    私がブログをやっている事に対して、アフィリエイトで儲けるなんてという意見がありましたが、

     

    アフィリエイトはやっていません。

     

    広告収入はブログ運営サイトへのものです。

     

    JUGEMの無料ブログを試しに開設されてみればおわかりになります。

     

    また、言いたい事があるなら裁判で言えばいいのに何を今更というご意見もありましたが、

     

    ここで書いている事の多くは、すでに裁判でもお話しした事です。

     

    それが報道されないので、改めてここで書いているのです。

     

    もし、全てマスメディアがそのまま報道してくれていれば、ブログを始める必要もありませんでした。

     

    ただの自己満足だというご意見も多数ありました。

     

    しかし、自己満足なら、叩かれる事を承知でわざわざこのような事をするでしょうか?

     

    報道機関は信じられない。

     

    だから、自分で発信するしかない。

     

    これまでの間違った報道を自分で正すしかない。

     

    そうしなければ生きていけないほど追い詰められているのです。

     

     

     

    なお、著作権は放棄していませんので、無断転載はお断りしております。

     

    転載したい場合は、URLを貼り付けて下さい。

     

    一部のみの切り抜き記事などによる誤解を防ぐためです。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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    オウム真理教の不思議な習慣

    2018.04.05 Thursday 22:47
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    なぜ、,暴颪い燭茲Δ塀慣が教団内で常態化していたかですが、私としては主に3つの原因があると考えています。

     

    まず、第一に、教団の教えは密教とされていたことの関連性から「秘密」がとても重視されていたことです。

     

    特にイニシエーション(秘儀伝授)に関わるワークなどは、秘密だとされていました。

     

    例えば、「死と転生」というオペレッタを教団が公演したことがあったのですが、舞台に立つ人達の踊りの練習場は除くのが禁止されたり、同時期に舞台用の衣装を作っていた被服班も厳重に立ち入り禁止になりました。

     

    また、食品部と言われていた部署も立ち入り禁止でした。

     

    食品部で作っていたお供物について

    「どうやって作っているんですか」

    と、聞いたところ、

    「それは、秘密だよ」

    と言われて答えてもらえなかったことがあります。

     

    そのとき、

    「あ、お供物もイニシエーションの一種だから聞いちゃいけなかったんだ」

    と思いました。

     

    シークレットワークと呼ばれることもあった秘密のワークは、かなりたくさんありました。

     

    そして、誰がシークレットワークに配属しているかよくわからないことも多かったので、相手のワークについては詮索しないことがマナーのようになっていました。

     

    一般世間に例えると、「政治」や「宗教」の話がタブーとされるような感覚に近いです。

     

     

     

    二つ目は、教団のワークは修行としてとらえられており、余計なことを考えずに、与えられたワークを集中して行うことが高い功徳を積むことになるとされていたことです。

     

     

    そして、三つ目は、特に末期の頃にあてはまりますが、教団内では公安のスパイが紛れ込んでいると噂されており、ワークのことについて詮索したりすると、スパイとして疑われるということがあったこととの関係です。

     

    アンケートで、

    「ワークのことを詮索するサマナ(出家修行者)が周りにいませんか」

    などと聞かれることもありました。

     

     

    これらの三つの理由から、信者は説明なしに指示に従うようになっていったと思います。

     

    私も、説明を求めても教えてもらえないことが続くうちに、だんだんとこの習慣が当たり前になっていきました。

     

    この習慣のせいで、違法性があるワークについてもその違法性に気づくことなく、違法なことに関わってしまった信者がたくさんいると思います。(もっとも、違法性のないワークもたくさんありました)

     

     

     

    category:オウム真理教の変わった習慣 | by:菊地直子 | - | -

    井上嘉浩さんの嘘ァ,覆屡爐榔海鬚弔のか

    2018.03.23 Friday 10:28
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    では、なぜ彼はこれほどまでの嘘をつくのでしょうか。

     

    私が逮捕された直後、弁護人の先生から、井上さんが「爆薬を菊地さんに見せた」と話していると聞き、大変驚きました。

     

    そのような事実に覚えがなかったからです。

     

    そして、なぜ彼がそのような嘘をつくのかと大変疑問に思いました。

     

    私のその疑問は、先生が中川さんから聞いてきた話を聞いて、払拭されました。

     

    それは次のようなものです。(あくまでも中川さんの見解です)

     

    「井上は中川が嘘つきだと思わせたがっている。それは井上自身の再審請求のためだ。井上は假谷さん拉致致死事件について、中川が假谷さんを殺したと証言し始めた。致死の責任を逃れられれば、刑が軽くなると踏んでいる。実際、彼は、逮捕監禁罪のみ認められた一審では無期懲役判決で、致死罪が認められた控訴審では死刑になっている。彼は平田信さんや菊地さんの裁判を利用して、自分の再審請求を有利にしようとしている。」

     

    「井上は中川に恨みを持っている。地下鉄サリン事件で使われたサリンは、中川が井上にあずけていたジフロ(メチルホスホン酸ジフロライド)から作られた。中川がそのことを証言したことを恨んでいる。」

     

    これを聞いて私はなるほどと思いました。

     

    私自身が井上さんから恨みをかうような原因もないし、私が有罪になっても井上さんの刑が軽くなるわけではないのに、なぜ彼が嘘をつくのか疑問だったのですが、この說明ですべて納得できました。

     

    中川さんは、公判でこのことを次のように証言しています。

     

     

     

     

    弁護人「井上さんが事実と違うことを言いだすような動機付けとして、何か中川さんに心当たりはありますか。

     

    中川「それはあります。」

     

    弁護人「それはどういうものでしょうか。」

     

    中川「私に対して意地になっているのかなという気はしますが。」

     

    弁護人「どういった意味でしょうか。」

     

    中川「つまり、私はもうもともと、もともとというか、かなり早い段階から、被告人(菊地)に犯意がなかったことを言っているんです、もう平成7年の捜査段階から。そのことは井上君もよくわかってると思うんです。で、私が言ってるからということで、何かそれに対して反対のことを言ってるという気がしてるんですが。」

     

    弁護人「それは、そういうことをされる覚えというか、何かあるんでしょうか。」

     

    中川「それはあります。ありますというか、そいうことをすべきかどうかという問題はあるんですけれども、それはあります。」

     

    弁護人「どういったことですか。」

     

    中川「裁判上のことで二つのことで大きな相違点がありまして、井上君と私は。」

     

    弁護人「どの点についてですか。」

     

    中川「まず、地下鉄サリン事件でサリン原料を誰が持ってたかという話で、当初は、私が持ってたということにしたんです。実際は井上君が持ってたんですけど、捜査段階で。で、それを裁判の初めの段階、平成7年が逮捕で、平成9年ぐらいに裁判で、実は井上君が持ってたんですということを言ったんです。で、井上君としてはもう知らないということをずっと言い通して、裁判が終わったんです。その次に、平成11年(2011年の間違い?)です、假谷清志さんの逮捕監禁致死事件で、今度は井上君が、假谷清志さんのご遺族に手紙を出したんです。假谷さんの逮捕監禁致死事件というのは、薬物で私が眠らせている間に、事故でなくなってしまったという話なんです。それで判決も確定してたんですけれども、井上君が突然、假谷さんのご遺族に実は中川が殺したんだと。ポアできる薬品を試して、殺したんだという手紙を出したんです。事件から16年か17年ぐらいたってると思うんですけれども。それで結局、裁判で話をしたんだけれども、先日の平田裁判ではそれが認められなかった(正確には、平田さんは「拉致」には関与したが「致死」には関与していないので、死因についての判断がなされなかった)。つまり、拉致監禁致死、私の言ってることが正しいということになってしまったんです。もちろん私は、井上君がジフロをもってたことも、うそで言ってるわけじゃないし、假谷さんについて、私が積極的に殺したということではないですけれども、で、井上君の言ってることは間違いというか、事実ではないですけれども。そのこと、こういう経緯があって、それで取調べ中もいろいろ、井上君の言ってることも聞いたんですけれども、24年の取調べです、被告人が逮捕された後の。やっぱり、私恨まれているのかなと思いました。例えば、井上君が言ってたことを言いますと、もう嫌になったんですけど、マラソンしてるときに中川が菊地にドーピングしてたとか、あるいは……もう言わない方がいいかなと思います。そんな話をたくさん言ってきて……」

                                                                              (平成26年5月13日 第3回公判)

    category:- | by:菊地直子 | - | -

    逃走の始まり

    2018.03.19 Monday 18:56
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      前回のブログで、自分が指名手配を知ったときのことを覚えていないと書いた。

       

      裁判資料を見返していたら、そのときのことを語っている中川智正さんの証言の記録をみつけた。

       

       

       

       

      弁護人「具体的にどんな具合だったのか、教えてもらえますか。」

       

      中川「それは(平成7年5月)17日の私の逮捕直前で、たぶん、電話だったと思うんですけれども、その電話以前にもう1回電話で話していて、被告人(菊地)も手配されたということは私が被告人に伝えたんです。そうしたら、被告人は、ええっ、と言って絶句したのを覚えています。それがあった後で、別に電話をして話した内容なんですけれども、私が言ったのは、まず、今回の事件や麻原氏の逮捕とか、それから、私も手配になってるし、あなたも手配になってるんだけれども、それはすべてでっち上げだということを被告人には言いました。そのあとで、しかし、私は麻原氏から、当時は尊師と言ってましたけれども、尊師が逃げろと言われたんで逃げると、警察に出頭したら、もう何されるか分からないから私は逃げると、逃走すると言ったんです。ただ、被告人には、あなたは下っ端だからそういうことはないんじゃないかなということを言ったんです。」

       

      弁護人「それに対して被告人はどう答えたんですか。」

       

      中川「怖いと言ってました。要するに、趣旨としては、自分には身に覚えはないんだけれども、とにかく何をやられるか分からないから怖いという趣旨のことを言って、それから、もう一つは、帰るところはないと言ってました。

       

      弁護人「それを聞いて、証人(中川)はどうしたんですか。」

       

      中川「それで、私はさらに、出頭したほうがいいよというような話をしたように思うんですけれども、結局、話がまとまらなくて、また話そうということになって電話を切ったんです。その後で、私はIさんと会う約束があったので、Iさんと会っているときに職務質問を受けまして、私だけ逮捕されたということになります。」

       

                                    (平成26年5月13日 第3回公判)

       

       

       

      中川さんと何を話したのかは覚えていないが、中川さんと電話で話をしたという事だけは覚えている。

       

      その電話のあと、中川さんに指示されて行った都心のマンションには、Iさんがいた。

       

      中川さんが最後に会っていたIさんだ。

       

      夜に出かけたIさんは、マンションに帰ってきたときにこう言った。

       

      「中川さん、捕まったと思う」

       

      その夜、私は中川さんが逮捕されたニュースを見た。

       

       

       

      その次の日だ。

       

      林泰男さんがマンションに来た。

       

      そして「じゃあ、行こうか」と言われた。

       

      これが私の記憶だ。

       

      手記にもそう書いた。

       

      私の手記を読んだ林泰男さんが私の弁護人宛に手紙をくれた。

       

      それによると、彼の記憶ではマンションに私を迎えに行ったのは、自分ではないと思うとのことだった。

       

       

       

       

      「私の記憶が絶対に正しいとはまったく思っていないのですが、…私の記憶によると、その時その「マンション」に菊地さんを迎えに行ったのは私ではありません。おそらく、Hさん、Nさん、Sさんの3人のうちの誰かかなあー???と思うのですが、違うでしょうか?

                              …(中略)…

      ところで、1995年5月18日ころ、菊地さんと合流したときに、『私は警察に捕まりたくないので、逃走する』旨のことを菊地さんに説明しました。

                              …(中略)…

      その上で、菊地さんの意思を確認しました。『あなたはどうしますか?』と。あるいは『どうしたいですか?』と。

                              …(中略)…

      私と一緒に逃走することをOKしてくれた時に、彼女は『身に覚えがないことで逮捕されたくないので、一緒に逃走する』旨のことを私に言いました。多分、当初の容疑は『地下鉄サリン事件』に関するものだったのかもしれませんが、彼女の言葉の趣旨は、地下鉄サリン事件に限らず、どのような事件についても『身に覚えがない』という気持ちで言っていたのだろうと思ってました。」

                                      2015年7月13日(月)発信  林泰男

       

       

       

       

      中川さんとの会話も、林さんとの会話も覚えていない。

       

      しかし、怖かったのは覚えている。

       

      自分には「逃げろ」という指示がなかったのも覚えている。

       

      だから、逃げたのは自分の責任だ。

       

       

       

       

       

       

       

      林さんと合流して1〜2週間ほど経ったとき、私は林さんの言葉で、

       

      地下鉄サリン事件は教団が起こしたらしいことを知った。

       

       

       

      それまでは、どんな報道を見ても教団が事件を起こしたなんて思えなかった。

       

      何年か前に起きた坂本弁護士事件で、教団への疑惑が報道されたときから、一連の報道はでっち上げで宗教弾圧だと説明されてきた。

       

      熊本県波野村の事件で逮捕者が出たときも、そう説明されてきた。

       

      そして、数年後にはもっと大きな宗教弾圧があるとされていた。

       

      それは教団が大きくなるためのプロセスだとまで言われていた。

       

      だから、假谷さん拉致事件で強制捜査があったときは、いよいよその宗教弾圧が始まったと思ったし、地下鉄サリン事件での強制捜査も、国家総出の宗教弾圧の一環だと信じていた。

       

      さらに、報道では私は教団の「幹部」だということになっていた。

       

      実際には幹部だった事など一度もない。

       

      それこそが、報道がでっち上げで宗教弾圧である事の証だと思っていた。

       

      加えて、教団内では虫を殺すことも禁じられていて(注)、サマナ(出家修行者)はそれを守って生活していた。

       

      だから、自分の知らないところで教団が殺人を行っているなんて、とても信じられなかった。

       

      確かにヴァジラヤーナの教義というものは存在してはいたが、それは単なるたとえ話だと思っていた。

       

      チベット密教でもその教えは存在している。

       

      しかし、誰も実践しているものはいない。

       

      それと同じだと思っていた。

       

       

       

       

      だから、林さんが教団の関与を認める発言をしたとき、混乱した。

       

      いろんなことが一度に頭の中にかけめぐった。

       

       

       

       

      じゃあ、サリンが教団で作られたのも本当なんだろうか?

       

      じゃあ、私がサリンの生成に関わったのだろうか?

       

      なんのために、こんな事件を?

       

      なんで、わざわざ教団の存続の危機を招くようなことをしたんだろう?

       

      よくわかんないけど、なにか理由があったとして、

       

      じゃあ、どれがサリンの生成だったんだろう??

       

      あれだろうか??

       

      でも、一緒に作業していた人は地下鉄サリン事件で逮捕されていないよね??

       

      なんでだろう???

       

      私が実行犯と言われている人と一緒にいるから???

       

      そのせいで、関与が薄いけれども指名手配されたのだろうか???

       

       

       

       

      などなど……

       

       

       

       

       

      ほんの一瞬の間にいろんなことが頭の中をかけめぐった。

       

      そのとき、私はその動揺を林さんに隠した。

       

      彼の口ぶりだと、教団が地下鉄サリン事件を起こしたことを、私がすでに気づいていると思っているように感じたからだ。

       

       

       

       

       

      なぜこんな事件を起こしたんだろうという疑問は、林さんにぶつけたりはしなかった。

       

      きっと本人も知らない。

       

      そんな気がしていた。

       

      常に説明がないのがオウムだったからだ。(過去記事「オウム真理教の変わった習慣」http://hositakusan.jugem.jp/?eid=22を参照して下さい)

       

      (その後の裁判によると、やはり林さんは、なぜ事件を起こすのかなど詳しい説明は受けていないようだ)

       

       

       

       

       

      教団が地下鉄サリン事件に関与したとわかってからも、なかなかその実感はわかなかった。

       

      「事件の残酷さ」と、自分が体験してきた「虫も殺さない(注)これまでの平和な生活」との間にあまりにもギャップがありすぎたからだと思う。

       

      自分が地下鉄サリン事件に関わっていることには、なおさら実感を持てなかった。

       

      今思うと、関与が薄いと自分でも感じていたからだと思う。

       

      (実際には私は地下鉄サリン事件には無関係です。地下鉄サリン事件の過去記事を参照して下さいhttp://hositakusan.jugem.jp/?eid=23)

       

       

       

       

       

       

      それから、しばらくして、私は、自分が運んだものが都庁爆弾事件の爆薬の原材料に使われたことを知った。

       

      そのときのことを林さんは、こう書いている。

       

       

      「…オウム事件に関するニュース番組を2人で見ていたところ、普段常に寡黙な菊地がテレビに向かって独り言をつぶやくようにして『私が運んだ物が、事件に使われるなんて、何も知らなかった。事件に使うことになるとは考えていなかった』旨のことをはっきりと言ってました。その後も同趣旨の菊地の発言を私は何度か聞いています。

       当時、菊地がテレビに向かって、…あるいは私に対して、独り言で、嘘やごまかしを言うはずがありません。…」

                                         平成27年6月30日 陳述書より抜粋

       

       

      それから私は、連日のように、「走る爆弾娘」と呼ばれるようになった。

       

      テレビをつけて、自分の姿を見ない日はないと言っても言い過ぎではなかった。

       

       

      林さんについての報道も酷かった。

       

      その当時、彼が報道で何と呼ばれていたか、ここで書くのも躊躇する。

       

      マスメディアは、事件のイメージをそのまま人物のイメージに当てはめたのだろう。

       

      しかし、実際の彼は、そのようなイメージとは正反対だった。

       

       

       

       

       

       

      それらの事件の教団の関与を知って、さらに数週間が経った頃の事だ。

       

       

      私たちと一緒に行動していたYさん、彼が上祐さんからの伝言を聞いてきた。

       

      それは私宛の伝言だった。

       

      「上祐さんが、菊地さんと連絡を取りたがっている。

       

      上祐さんは、菊地さんは出頭した方がいいと言っている。」

       

      それを聞いて、出頭か………どうしよう…と考える間もなく、林さんが言った。

       

       

       

       

      「そんなこと言っても、もう出頭できる状態じゃないからなあ。」

       

       

       

       

      それを聞いて私がどういう返事をしたのか覚えていない。

       

      でも、「確かにその通りだ」と思った記憶がある。

       

       

       

      私が出頭したら、林さんも捕まってしまう。

       

      私は出頭したとして、その後、彼のことを黙っている自信がなかった。

       

      捕まったら、黙秘は難しいだろう。

       

      そしたら、彼はどうなるのか。

       

      それも怖かった。

       

      なにしろ、ずっと虫も殺してはいけない生活(注)を5年も続けてきたのだ。

       

      殺生は地獄のカルマになると言われていた。

       

      自分の行動が原因で人が死ぬかもしれないのは恐ろしかった。

       

      実行犯と言われている人達も、ごくごく普通の人達なのだ。

       

      むしろ、いい人すぎるぐらいいい人だった。

       

      それは林さんも同様だった。

       

      林さんが、報道されていたように、

       

      本当にマインドコントロールされたロボットだったとしたら、どんなに良かっただろう。

       

      事件のイメージと同じように、残酷で凶悪な人物だったら、どんなに良かっただろう。

       

      そうであったならば、私は出頭できていたに違いない。

       

       

       

       

       

       

      林さんが、

       

      「そんなこと言っても、もう出頭できる状態じゃないからなあ」

       

      と言ったあと、

       

      Yさんはその言葉を上祐さんに伝えに行った。

       

       

      この直後、テレビで上祐さんが「指名手配中の7名を教団から除名処分にする」と発表した。

       

       

       

       

       

      こうして、私は最初の出頭する機会を失った。

       

       

       

       

       

       

      (注)

         私は、被告人質問で「中川さんは『教団で作られていたものはサリンではなく農薬である』とする教団の主張を裏付ける為の検証実験か何かをしていると思っていた」と発言しています。

         一審では「教団では虫も殺さないと思っていたとする被告人の主張と矛盾する」として「被告人の主張は不合理である」とされましたが、控訴審(二審)では「被告人は、第3次世界大戦が来るという予言が教団にはあり、それに備えるために食料を自給自足する必要があり(実際に教団の食品部では保存食を作る等していた)、緊急事態なので例外的にやむを得ず農薬を使うことになったと思っていたとしているのであるから、被告人の主張は不合理として退けることはできない」とされ、主張を全面的に認められています。

        教団は「作っていたのは農薬だ」と発表しましたが、サマナが日々の生活の中で殺生を禁じられている事は変わりありませんでした。

       

       

       

       

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      逮捕状と指名手配

      2018.03.02 Friday 13:20
      0

        私は何故だか、自分に逮捕状を出た事を知ったときの記憶がない。

         

        その後、指名手配になった事を知ったときの記憶もない。

         

        東京拘置所にいるときに、Mさんという女性の供述調書を読んだ。

         

        そこには、私が自分に逮捕状が出た事を知ったときのことが書かれていた。

         

        彼女と私が一緒にホテルに泊まった事があって、一緒に朝のニュースで知ったらしい。

         

        その日、地下鉄サリン事件の容疑で40名余りの信者に逮捕状が出た。

         

        その時、私は

         

        「なんで私が……」

         

        と言ったらしい。

         

        この頃、私はまだ教団が地下鉄サリン事件に関与したのではという疑いは完全な冤罪だと思っていた。

         

        そして、宗教弾圧なんだと信じていた。

         

        それまで、本来なら逮捕などあり得ないような微罪で信者が逮捕されるという事はあった。

         

        しかし、宗教弾圧なのだから、本来のターゲットは教団の中心にいる人たちだと思っていた。

         

        だから、私は

         

        「なんで私が…」

         

        と言ったのだと思う。

         

        そのあと、私は彼女と一緒に教祖が逮捕される様子をテレビで見たらしい。

         

        それも覚えていない。

         

        彼女と一緒にホテルに泊まったという事実は覚えているのに……。

         

        その後、まもなくして私は指名手配になった。

         

        その事は中川さんから電話で知らされたらしい。

         

        何故か、ホテルから中川さんと電話で話した事だけは鮮明に覚えているのに、何を話したかの記憶がない。

         

        その時私は

         

        「えーーー」

         

        と言って、絶句したらしい。

         

        中川さんが、そう法廷で証言した。

         

         

         

        取り調べの時、いつどこで教祖の逮捕を知ったかと聞かれて、答えられなくて困った。

         

        「教祖が逮捕されるなんて一大事なんだから覚えているはずだろう」

         

        と言われた。

         

        その映像は覚えている。

         

        繰り返し報道されていたから、何度も見た。

         

        でも、初めて見たのがいつどこでなのか、わからなかった。

         

         

         

        教祖の逮捕もそうだが、私は何故、自分に逮捕状が出た事や、指名手配になった事を知った時の記憶がないのだろう。

         

        忘れてしまいたい程ショックな事だったからだろうか?

         

         

         

        何故なのかはわからない。

         

        しかし、自分に逮捕状が出た事、そして指名手配になった事、この事実そのものは消えない。

         

        これからもずっと…。

         

         

         

         

         

         

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        性愛日記

        2018.02.14 Wednesday 10:02
        0

          性愛日記など存在していない。

           

          菊地直子の性愛日記の報道の根拠となったたった一枚の紙のメモが、後にこんな捏造記事になるなんて思いもしていなかった。

           

          一番ビックリしたのは、私がHさんへの肉欲を綴ったとの報道だ。

           

          そもそも、私はHさんの事など一言も書いていない。

           

          その捏造記事の根拠となった部分は、出頭したら警察官から拷問にも似た取調べを受けたり、セクハラまがいのことをされるのではないかという恐怖をメモしたものだ。

           

          このメモは、逮捕された後にコピーを入手できた。(類型証拠開示という制度による)

           

          誰かに読んでもらうつもりで記したものではないから、教団用語が多用されていて、自分だけにしかわからない略語も使っていた。

           

          警察のことを「P」と記した事が災いした。

           

          (一緒に逃げていた人の一部が警察の事を「Pちゃん」と呼んでいたから、そう書いた)

           

          Hさんのホーリーネームの頭文字も「P」だったからだ。

           

          そして、マスメディアの都合のいいように、

           

           Hさんと逃げたいとか

           

          Hさんへの肉欲を綴ったとされてしまった。

           

          マスメディアとしては、センセーショナルな記事にして売り上げを伸ばしたいのだろう。

           

          週刊文春には「性欲の煩悩」にまみれた菊地直子などとも書かれたが、

           

          マスメディアは、国民こそが「性欲の煩悩」にまみれていると思っているのだと思う。

           

          だからこそ、このような記事を書けば、週刊誌が売れるだろうと踏んでいるのだろう。

           

          記事を読んで私の事を「淫乱」な女性なんだなと思った人に対して、

           

          あなたの方こそがマスメディアに「淫乱」だと思われていますよ

           

          と私は言いたい。

           

           

           

           

          category:- | by:菊地直子 | - | -

          司法の限界

          2018.02.02 Friday 02:03
          0

             

            「司法の限界だ」

             

            多くの人が、私の無罪判決を受けて、そう言った。

             

            そして

             

            「無実と無罪は違うんだ」

             

            とも言った。

             

            つまり、本当は黒なんだけど、証拠がないから無罪になっただけで

             

            無実(白)じゃないんでしょって事だ。

             

             

             

             

             

            しかし、判決で認定された通り、私は、

             

            運んだものが爆薬の原材料として使われるなどとは全く知らなかったし、

             

            そのような事に使われるとは夢にも思っていなかった。

             

             

             

             

             

            「やっていないこと」「知らないこと」を証明することは非常に難しいため、

             

            悪魔の証明

             

            と言われている。

             

            だから、犯罪の立証責任は検察側にあり、検察側が犯罪を立証できないなら無罪になる。

             

             

             

             

            私は、反対の意味で「司法の限界」を感じる事になった。

             

            「無実と無罪は違う」という理屈によると、

             

            一度逮捕されて起訴されてしまえば、

             

            本当に白であったとしても疑いが完全に晴れることはない。

             

            そして「無実と無罪は違う」と言う多くの人は、

             

            司法の判断よりもマスメディアの報道を信じている。

             

             

             

             

             

            それが嘘で固められている事を知らずに。

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

            category:- | by:菊地直子 | - | -

            地下鉄サリン事件

            2018.01.27 Saturday 23:26
            0
              いまだに私が地下鉄サリン事件に関与したと思っている人が多くて本当に困惑する。
              たしかに私は17年間、地下鉄サリン事件で指名手配されていた。
              そして、私は、複雑のメディアに地下鉄サリン事件に関わったと断定して報道された。
              だから、勘違いしている人が多くても仕方がないのかもしれない。
              しかし、地下鉄サリン事件は歴史に残るとも言われている大事件だ。
              その犯人と間違われて、仕方がないですませられないというのが私の正直な思いだ。
              週刊新潮にも、私が地下鉄サリン事件に関わった「疑い」ではなく「関わった」と断定した記事を掲載された。
              東京拘置所にいた時、私は週刊新潮宛に「私がサリンを生成したとの貴誌の記事は間違っているのでその件で話し合いをしたい」との内容証明を送ったことがある。
              逮捕されはしたもののその事件では起訴はされずに釈放されていた事もあり、少しはこちらの話も聞いてもらえるのではという若干の期待があったからだ。
              しかし私の期待は大きく裏切られた。
              「記事の内容は正しい」
              「弊誌では、あなたがサリンだという認識を持ってサリンを生成したと確信を持っている」
              「あなたは逃げることで不当に起訴を免れた」
              新潮の送ってきた書面にはそう書かれていて大変ショックを受けた。
              起訴をされたわけでもなく、私がいつ何処で誰とどのようにサリンの生成に関わったのかなどという事実が明らかでないにも関わらず(関わってないので明らかではなくて当たり前なのだが)、私に対する地下鉄サリン事件の殺人容疑が冤罪だという事実が全く世間で認識されていないという事を思い知らされて、本当に絶望的な気分になった。
              新潮が自誌の記事が正しいとする根拠はまとめると以下のようなものだった。
              .シティガルバ棟という教団施設でサリンが生成された。
              ∋笋クシティガルバ棟での仕事に従事していた。
              クシティガルバ棟には他部署の者が立ち入れないように中から鍵がかけられていた。
              ぢ哨泪好瓮妊アも私が地下鉄サリンの生成に関わったという断定的な報道をしている。さらにサリンだという認識を持って関わった可能性が高いとも報道している
               銑い泙任瞭睛討魄譴弔困銚‘い靴討澆燭い隼廚Α
              ❶私が拘置所で入手することができた関係者の裁判記録と判決の記録のコピーによると、たしかにクシティガルバ棟でサリンが生成されたことがある。
               その時期は、1993年10月から12月までと裁判で認定されている。
               そして、それより後に同棟ではサリンは一度も生成されていない。
              ➋そして、私はクシティガルバ棟に配属されたことがある。
               私自分の記憶と複数の関係者の証言から、その時期は1994年の6月頃と裁判で認定された。
              ❸たしかに当時クシティガルバ棟には鍵がかかっていて、私も含めて部署の人間は合鍵を持っていた。
              ❹新潮が主張するように、他社の報道の一部が同じような報道をしている。
              以上の通り、たしかに 銑こ篤睛討里修譴召譴論気靴
              しかし、最初に述べた通り、私はサリンの生成には一切関わっていない。
              まず、私がクシティガルバ棟に配属されたのはクシティガルバ棟でサリンが生成された時期より後のことだ(❶&➋)
              クシティガルバ棟でサリンが生成されていた頃、私は教団のマラソン部に所属していて翌年1月の大阪国際女子マラソンに向けての練習を毎日していた。
              もし、1994年1月の大阪国際女子マラソンに出場された方でパンフレットを保管されている方がいらっしゃったら、出場者欄を確認してみてほしい。
              私の名前が見つかるはずだ。
              そして、その時期に私はクシティガルバ棟に立ち入ったことはない。
              生活していた場所がクシティガルバ棟とは歩いて30分ほど離れていたし、クシティガルバ棟という施設があることも知らなかった。
              それに、クシティガルバ棟には他部署の人間が立ち入れないように鍵がかかっていたのだから、仮に立ち入ろうとしたとしても立ち入れない(❸)
              また、新潮は鍵をかけているなんてやましいことをしていたからだろうとのニュアンスの主張をしているが、教団内では自分と関係のない部署への立ち入りは禁止が原則で、鍵のかかっている部署は他にもたくさんあったから、鍵がかかっていたことと事件性の認識は即結び付くものではない。
              また、他のマスメディアが同じような報道をしていたからといって、週刊新潮の記事が正しいという根拠にはならない。
              なぜなら、その他社の報道の内容も間違っているからだ(❹)
              そもそも、一審の私の裁判を通しで傍聴していれば,クシティガルバ棟でサリンが生成されたのは、私が同棟に配属されるより前の事だったことや、サリン等の生成は後から配属されたメンバーには一切秘密にされていた事なども分かったはずなのだが、週刊新潮は裁判の傍聴をされていなかったようだ。
              そして、裁判を傍聴していた他のマスメディアもその事を一切報道しなかったようだ。
              (江川詔子さんが「菊地さんはサリンの生成に関与していない」とおっしゃっている事をマスメディアが取り上げて報道したのは、二審で無罪判決が出た後の事なので、私が新潮に内容証明を送ったのより後のことである)
              だから、それまでの間違った情報を新潮は信じていたのだろう。
              しかし、裁判の傍聴もしていないのに、なぜここまで自分たちの記事が間違っていないと断言できたのかが不思議だ。
              新潮は、さらに、この内容証明での私の抗議を「被害者の気持ちを踏みにじる行為」だとして、次の週の記事にした。
              なぜ、事実を正しくきちんと報道してくれと訴えることが、被害者を踏みにじる行為になるのだろうか?
              私には、理解できない。
              category:- | by:菊地直子 | - | -